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たくさんの下積みや努力の結果、晴れて自分のお店を持つことができたものの、
「もっともっと上を目指せるんじゃないか。」
とお考えのキャバクラオーナー様は多いのではないでしょうか。
確かにキャバクラを経営する側に回るのはとても凄いことですが、それがゴールかといえばそうではないはず。
あなたのように高みを目指し続けるオーナーさんのために、今回は以下の内容を解説します。
- キャバクラで成功した経営者の3つの共通点
- キャバクラで成功した経営者5選
より上を見て、モチベーションを高めたいというキャバクラオーナー様は、ぜひ参考にしてみてください。
キャバクラで成功した経営者の3つの共通点
キャバクラなど、水商売の経営者の共通点として、何を思い浮かべるでしょうか?
根性、コミュニケーション能力、バイタリティなどなど…
様々な要因が考えられますが、重要なポイントは以下の3つです。
- 強い組織を作る
- 長期的な視点を意識し亭る
- 数値の管理を徹底している
まずはそれぞれの「成功者の共通点」について、詳しく確認していきましょう。
①強い組織を作る
複数の店舗経営を成功させるようなオーナーは、決まって「強い組織を作る」という共通点があります。
というのも、キャバクラを経営する際、以下のように様々なタイプの人間に囲まれることになります。
- サボり癖があるバイト
- 不正をする従業員
- 独立意欲の高い店長
- やる気にムラのあるキャスト
このような環境において、オーナーが自分で店作りやマネジメントを全てやろうとすれば、それで話が済むことが多いです。
しかし、自分がなんでもやってしまうワンマンタイプの経営者だと、店舗数の増加や自分がいない時には店舗が成り立たなくなってしまいます。
こういった点を踏まえ、成功している経営者は、「自分が店舗を回せるのは当たり前」な上で、「自分がいなくても回る環境作り」にも力を入れる傾向にあります。
このように、上を目指せば目指すほど、自分がいなくてもお店が成り立つような「組織作り」のスキルが求められるでしょう。
②長期的な視点を意識している
成功している経営者は、目先の利益だけでなく、長期的な視点で店舗を経営しています。
季節や景気によって売上の波は必ず存在しますが、そんな時でも悲観をせず、次の打ち手を考えるのが成功する経営者の特徴。
実際、短期的に稼ごうとするのは簡単で、従業員やキャストに目標を与え、プレッシャーをかけるだけでも済むでしょう。
しかしそんな体制を長く続けるのは難しいですよね。
目先の利益や不安に惑わされず、長期的な目標を見据え、淡々と売上を伸ばしていければ、さらなる成功が目指せるはずです。
③数値の管理を徹底している
最も重要といえるのが、「数値管理を徹底している」点。
理由は簡単で、数値は嘘をつかないからです。
夜の世界では、「人」は不確定要素が多かったり、時には裏切られたりすることもありますが、一方で「数値」は非常に信頼できるもの。
具体的には、数値管理によって以下のような分析をすることが可能です。
- 売上と経費のバランスの改善
- キャストごとの売上の確認
- 売上に貢献している要素の分析
数値を元にすれば、何が売り上げに貢献しているのか、どうすればさらに売上を出せるかを、事実ベースで分析することが可能。
「なんとなくあのキャスト頑張っているな」「なんとなくこのイベントは売り上げ出るな」といった肌感覚で経営している方ほど、実際の数値を見た際に驚かれるケースも多いです。
上を目指せば目指すほど、数値は重要なポイント。
まだキャバクラ経営において数値管理を実施していないオーナー様は、ぜひ「データ分析」の文化を取り入れてみてください。
数値の管理をする上で大活躍するのがPOSレジシステムです。
詳しくはキャバクラ専用のPOSレジ「TRUST」についてチェックしてみてください。
【キャバレー3英傑など】キャバクラの成功者5選!
ここからは成功している経営者やオーナーを5名紹介していきます。
まずご紹介するのが「キャバレー3英傑」ですが、あなたは、「キャバレー」をご存知でしょうか。
キャバクラではありませんが、このキャバレーからキャバクラが生まれたといっても過言ではありません。
当時はかなりの盛り上がりを見せており、最盛期には全国で1万2千店舗あったそうです。
1971年のドルショック、1973年のオイルショックが起きてからは衰退していきましたが、そのピンチがきっかけで、後述の新富宏さんによって、キャバクラが生みだされることになります。
そんなキャバクラの生みの親ともいえる、キャバレー。
まずはそのキャバレーにおいて成功した3人、キャバレー3英傑から見ていきましょう。
①キャバレーハリウッド、福富太郎
キャバレー3英傑の1人目が、「福富太郎」さん。
1945年、中学二年生の時に敗戦を迎えた福富さん。
その二年後、高校を中退した福富さんは、「ボーイ募集」いう広告を見て、ボーイが何なのかもわからないまま、銀座の喫茶店でボーイとして働きはじめました。
その後、中華料理店、キャバレー支配人、ダンスホールのバーテン等様々な経験を経て、26歳(1957年)に独立。今までの経験や商才を生かし、いくつも店舗をオープンします。
1964年には大型キャバレー「銀座ハリウッド」をオープンし、マスコミから「キャバレー太郎」として取り上げられるまでの存在になりました。
福富さんの器の大きさを感じさせるエピソードとして、こんなものがあります。
福富さんがマネージャーだったとき、「外国人の男と同棲しているがいじめられている。逃げるためにお金を貸してください」というホステスがいました。
福富さんは彼女に、当時からしたら大金である5万円を貸しますが、それは嘘で、彼女は行方をくらませてしまいました。
その後、福富さんは自身の店舗を持ち、ホステスを募集しました。
すると、福富さんの店とは知らずに彼女が面接に来ました。
彼女はぎょっとしましたが、福富さんは笑顔で、一切貸したお金のことは口にしませんでした。
すると、彼女のほうから「恩返しさせてください」と言い、売り上げに貢献したそうです。
また、彼は、自身の著書にて、次のように述べています。
「私にとって、キャバレーほどいい商売はない。たとえ儲からなかったとしても、死ぬまでキャバレーをやってやろう。こんな愉快な商売はない。私の天職だ。」
福富さんがなぜ成功したのか、うかがえる発言です。
②キャバレーミカド、小浪義明
キャバレー3英傑の2人目が、「小浪義明」さん。
もともとレストランシアターとして、欧米人客に大好評だった豪華な内装の「ミカド」。
しかしホステスが存在しないことが日本人客からは不評。
開業してからわずか3年後の1964年には閉館に追い込まれます。
それを買収に近い形で引き取ったのが、大型キャバレーの成功で名を馳せていた神戸出身の小浪義明です。
派手な内装は取り除くなど、大幅な改装が施され翌年1965年に高級路線の大衆キャバレーとして再オープンしました。
もともと東京進出以前は神戸で多くのキャバレーやダンスホールを繁盛させており、その手腕はかなりのものであったそうです。
銀座中のキャバレー、クラブからホステスやマネージャーなどスタッフを多数引き抜いたことが大問題にはなりましたが、最盛期には500名のホステスを抱え、「キャバレー王」と呼ばれるに至りました。
経営が軌道に乗ると、主力スタッフすらも次々と退職させていくなど、数字重視なところもうかがえます。
しかし最終的には、当のミカドは、神戸、大阪、東京、札幌といずれも比肩するもののない社交場にまでなりました。
③キャバレーハワイ、小松崎栄さん
3人目はキャバレーハワイの小松崎栄(日本一成)さん。
キャバレーを全国に650店舗展開した方です。
このハワイグループから、後述のレジャラースや、プラザエンタープライズなどの会社が生まれています。
風俗業界を盛り上げることに大きく貢献した人と言えるでしょう。
小松崎さんが成功した秘訣は、そのひたむきな努力だと考えられます。
19歳の時に上京した小松崎さんは、まずは資金集めのために働きはじめました。
誰よりも早く出勤し、誰よりも遅く帰ることは当たり前で、日給は出勤前に毎日郵便局に貯金。
食事はまかないだけで済ませ、ひたすら資金をためていたようです。
ちなみに、サンチェーンの創業者でもあり、日本で最初に「24時間営業店を全国チェーン化した方」です。
「キャバレー革命」を夢としていましたが、キャバレーの衰退に伴い、ハワイグループの40店舗を新富さんに託します。
④レジャラース、新富宏さん
小松崎栄さんのハワイグループの分家である「レジャラース」。
代表取締役の新富宏さんは、なんと日本で初めてキャバクラをオープンした方です。
新富さんは、前述の小松崎さんからハワイグループのお店を40億で40店舗買い取りました。
そしてそのうちの30店舗を、30億で信頼できる部下に託します。
しかし、1970年中ごろに、ドルショック、オイルショックによりキャバレー自体の勢いがそがれていきました。
このままではいけないと思いついたのが「高級感のあるクラブ」と「色気のあるキャバレー」を合体させようという案でした。
ハワイグループから独立し、株式会社レジャラースを創立すると、5年後に「キャバクラ事業部」を設立。
そしてキャバクラの1号店を池袋東口にオープンします。
ちなみに、キャバクラは「キャバレークラブ」の略ではなく、「キャンバスクラブ」の略語になります。
というのも、最初期のキャバクラは女子大生を中心に雇っていたことからです。
これまでプロである女性が前提となっていましたが、女子大生などの、「素人女性」を中心としました。
そうすることで、疑似恋愛が楽しめる、つまりキャストを「口説ける」という点で、クラブとは違った魅力を作り出しました。
キャバクラを作り出した、新富宏さん。
キャバクラの産みの親ということで、「自分とは住む世界が違うんだ」と思ってしまいそうですが、はじめはハワイグループに在籍し、歌舞伎町で働いていました。
目標は「ナイトカルチャーの一般化」とのこと。
生涯現役を掲げ、今も新しいナイトビジネスを模索しているそうです。
ちなみに倉科遼さんの、「キャバクラ王」で新富さんの半生が記されていますが、かなり苦労されたようで、たくさんの裏切り、失敗、挫折を経験しています。
⑤オスカーグループ(現INSOUグループ)、恵藤憲二さん
現INSOUホールディングスであるオスカーグループ。
こちらを開業したのが恵藤憲二さんです。
恵藤さんは、雨上がり決死隊の宮迫博之さんの元相方であり、19歳の時はラーメン屋の経営とお笑いを一緒にやっていたそうです。
その後はお笑いをやめ、ラーメンなどの飲食店のチェーン拡大にを進めました。
そしてその経験を生かして、20代前半の時にオスカーグループの店を開業し、勢力を拡大していきます。
オスカーグループ以外にも「エトーム」という服飾の事業でも成功しており、キャバクラに限らず経営手腕を発揮。
一度芸能界を経験したことによる人脈やトーク力で、他の服飾経営者とは差別化されていたようです。
元相方の宮迫さんからも、「元から商才があった」と言われています。
今では、吉本興業出身者の中でも「歴代1位の成功者」と呼ばれるような存在になりました。
10年間でキャバクラチェーンを全国100店舗に展開し、年商は300億円を超えているそうです。
ちなみにオスカーグループといえば業界でもダントツトップ。
恵藤さんはまさに夜の世界の夢を体現したような方ですが、性格は物静かで穏やかとのことです。
ここまでの成功を収めておきながら謙虚さを持ち続けており、人柄を感じさせますね。
あなたはオーナーとしてどのレベルを目指すのか
今回はキャバクラ(水商売)のオーナーを紹介しましたが、成功している経営者には大きな共通点があります。
その共通点とは、「楽して成功した人はいない」ということ。
常人には理解しがたいような苦労をし、それでも継続し、成功を収めている方ばかりです。
これはキャバクラに限らず、スナック、ホスト、ガールズバー、すべてのオーナーに言えることです。
もし今「充分苦労しているよ」と感じていても、それ以上の苦労を乗り越えている方はいます。
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