目次
キャバクラの経営者というのは、夜の世界の憧れです。これまでの努力が認められ、たくさんの人望を得て手に入れた栄光の地位でしょう。
ですが、オーナーになることがゴールではないはずです。むしろ、オーナーになってからがスタートではないでしょうか。
「もっと上を目指せるんじゃないか。」
あなたのように高みを目指し続けるオーナーさんのために、成功した経営者に共通していた3つの特徴を解説します。
さらにキャバクラで成功した経営者5選も紹介していきます。
キャバクラで成功した経営者の3つの共通点
キャバクラを始めとした水商売の経営者に向いている人はどのような人をおもいうかべるでしょうか?水商売歴が長く経験とカンで経営を行ったり、ゴリゴリの凄腕経営者を思い浮かべるのではないでしょうか。
しかし、成功している経営者は経験や凄腕だけではなくそれ以外の共通点があります。
数値の管理を徹底する
意外かもしれませんが、成功している経営者は必ず数値の管理を徹底しています。水商売では現金の移動が激しいビジネスですが、一つ一つをしっかりと管理しています。
売上だけでなく、何にいくらかかったかをしっかりと計算して利益を出しています。
そしてその数値を見ながら売上をアップさせる工夫やイベントの効果測定などを行っています。
成功する経営者になるためには必ず数値の管理を行ってみましょう。
強い組織を作る
数店舗を経営しているオーナーは決まって強い組織を作ることを意識しています。従業員の中には不正やサボりぐせが人もいます。そのため、信頼するのは勇気のいることです。
しかし、自分がなんでもやってしまうワンマンタイプの経営者だと店舗数の増加や自分がいなかった時に店舗が成り立たなくなってしまいます。
成功している経営者は自分が店舗を回すのは当たり前で自分以外のスタッフが自分と同じように働けるための環境づくりに力を入れています。
複数店舗を経営している会社では社訓やミッションビジョンを作って、組織づくりをしているところもあります。
目先の利益に惑わされない
成功している経営者は目先の利益だけでなく、長期的な視点で店舗を経営しています。季節や景気によって売上の波は必ず存在します。
売上が悪い時に悲観せずにしっかりと対策をして、繁忙期に備えることができます。
店舗経営は長い戦いです。目先の利益に惑わされずに長期的に売上を伸ばしていく方法を考えることが大切です。
キャバレー3英傑
ここからは成功している経営者やオーナーを5名紹介していきます。
あなたは、「キャバレー」をご存知でしょうか。キャバレーとは、昭和60~70年代に全盛期を迎えた、風営法で言うと1号営業にあたるものです。
キャバクラではありませんが、このキャバレーからキャバクラが生まれたといっても過言ではありません。
当時はかなりの盛り上がりを見せており、最盛期には全国で1万2千店舗あったそうです。1971年のドルショック、1973年のオイルショックが起きてからは衰退していきましたが、そのピンチがきっかけで、後述の新富宏さんによって、キャバクラが生みだされることになります。
そんなキャバクラの生みの親ともいえる、キャバレー。まずはそのキャバレーにおいて成功した3人、キャバレー3英傑から見ていきましょう。
キャバレーハリウッド、福富太郎
福富さんは、中学二年生の時に敗戦を迎えています。(1945年)そしてその二年後、高校を中退した福富さんは、「ボーイ募集」いう広告を見て、ボーイが何なのかもわからないまま、銀座の喫茶店でボーイとして働きはじめました。その後、中華料理店、キャバレー支配人、ダンスホールのバーテン等様々な経験を経て、26歳の時に独立します。(1957年)
その後は今までの経験や商才を生かし、いくつも店舗をオープン。1964年には大型キャバレー「銀座ハリウッド」をオープンし、マスコミから「キャバレー太郎」として取り上げられるまでの存在になりました。
福富さんの器の大きさを感じさせるエピソードとして、こんなものがあります。
福富さんがマネージャーだったとき、「外国人の男と同棲しているがいじめられている。逃げるためにお金を貸してください」というホステスがいました。福富さんは彼女に、当時からしたら大金である5万円を貸しますが、それは嘘で、彼女は行方をくらませてしまいました。
その後、福富さんは自身の店舗を持ち、ホステスを募集しました。すると、福富さんの店とは知らずに彼女が面接に来ました。彼女はぎょっとしましたが、福富さんは笑顔で、一切貸したお金のことは口にしませんでした。
すると、彼女のほうから「恩返しさせてください」と言い、売り上げに貢献したそうです。
彼は、自身の著書にて、次のように述べています。
「私にとって、キャバレーほどいい商売はない。たとえ儲からなかったとしても、死ぬまでキャバレーをやってやろう。こんな愉快な商売はない。私の天職だ。」
福富さんがなぜ成功したのか、うかがえる発言です。
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出典:昭和キャバレー秘史 第五章
キャバレーミカド、小浪義明
もともとレストランシアターとして欧米人客には 大好評を得ていた、豪華な内装の「ミカド」。しかしホステスが存在しないことが日本人客からは不評。開業してからわずか3年後の1964年には閉館に追い込まれます。
それを買収に近い形で引き取ったのが、大型キャバレーの成功で名を馳せていた神戸出身の小浪義明です。派手な内装は取り除くなど、大幅な改装が施され翌年1965年に高級路線の大衆キャバレーとして再オープンしました。
もともと東京進出以前は神戸で多くのキャバレーやダンスホールを繁盛させており、その手腕はかなりのものであったそうです。
銀座中のキャバレー、クラブからホステスやマネージャーなどスタッフを多数引き抜いたことが大問題にはなりましたが、最盛期には500名のホステスを抱え、「キャバレー王」と呼ばれるに至りました。
経営が軌道に乗ると、主力スタッフすらも次々と退職させていくなど、数字重視なところもうかがえます。しかし最終的には、当のミカドは、神戸、大阪、東京、札幌といずれも比肩するもののない社交場にまでなりました。
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出典: 昭和キャバレー秘史 附・昭和キャバレー史を彩ったサムライたち
キャバレーハワイ、小松崎栄さん
3人目はキャバレーハワイの小松崎栄(日本一成)さんです。キャバレーを全国に650店舗展開した方です。
そしてそのハワイグループから、後述のレジャラースや、プラザエンタープライズなどの会社が生まれています。風俗業界を盛り上げることに大きく貢献した人と言えるでしょう。
小松崎さんが成功した秘訣は、そのひたむきな努力でしょう。19歳の時に上京し、まずは資金集めとして働きはじめました。
誰よりも早く出勤し、誰よりも遅く帰ることは当たり前で、日給は出勤前に毎日郵便局に貯金。食事はまかないだけで済ませ、ひたすら資金をためていたようです。
ちなみに、サンチェーンの創業者でもあり、日本で最初に「24時間営業店を全国チェーン化した方」です。「キャバレー革命」を夢としていましたが、キャバレーの衰退に伴い、ハワイグループの40店舗を新富さんに託します。
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出典:キャバクラ王 新富宏 第二章
レジャラース、新富宏さん
レジャラースは、小松崎栄さんのハワイグループの分家であり、代表取締役の新富宏さんは、なんと日本で初めてキャバクラをオープンした方です。
新富さんは、前述の小松崎さんからハワイグループのお店を40億で40店舗買取りました。そしてそのうちの30店舗を、30億で信頼できる部下に託しました。しかし、1970年中ごろに、ドルショック、オイルショックによりキャバレー自体の勢いがそがれていきました。このままではいけないと思いついたのが「高級感のあるクラブ」と「色気のあるキャバレー」を合体させようという案でした。
ハワイグループから独立し、株式会社レジャラースを創立すると、5年後に「キャバクラ事業部」を設立。キャバクラの1号店を池袋東口にオープンします。ちなみに、キャバクラは「キャバレークラブ」の略ではなく、「キャンバスクラブ」の略語になります。というのも、最初期のキャバクラは女子大生を中心に雇っていたことからです。
これまでプロである女性が前提となっていましたが、女子大生などの、「素人女性」を中心としました。そうすることで、疑似恋愛が楽しめる、つまりキャストを「口説ける」という点で、クラブとは違った魅力を作り出しました。
キャバクラを作り出した、新富宏さん。キャバクラの産みの親ということで、「自分とは住む世界が違うんだ」と思ってしまいそうですが、はじめはハワイグループに在籍し、歌舞伎町で働いていました。
スタートからすごかった人なんていません。あなたも努力を続けていれば、新富さんのように新たなナイトビジネスを思いついて、大成功するかも・・?
目標は「ナイトカルチャーの一般化」とのことです。生涯現役を掲げ、今も新しいナイトビジネスを模索しているそうです。倉科遼さんの、「キャバクラ王」で新富さんの半生が記されていますが、かなり苦労されたようで、たくさんの裏切り、失敗、挫折を経験しています。
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出典:キャバクラ王 新富宏 第二章
オスカーグループ(現INSOUグループ)、恵藤憲二さん
現INSOUホールディングスであるオスカーグループ。こちらを開業したのが恵藤憲二さんです。恵藤さんは、雨上がり決死隊の宮迫博之さんの元相方であり、19歳の時はラーメン屋の経営とお笑いを一緒にやっていたそうです。
その後はお笑いをやめ、ラーメンなどの飲食店のチェーン拡大にを進めました。、そしてその経験を生かして、20代前半の時にオスカーグループの店を開業し、勢力を拡大していきました。
オスカーグループ以外にも「エトーム」という服飾の事業でも成功しており、キャバクラに限らず経営手腕を発揮しています。一度芸能界を経験したことによる人脈やトーク力で、他の服飾経営者とは差別化されていました。元相方の宮迫さんからは「元から商才があった」
と言われています。
今では、吉本興業出身者の中でも「歴代1位の成功者」と呼ばれるような存在になりました。10年間でキャバクラチェーンを全国100店舗に展開し、年商は300億円を超えているそうです。
オスカーグループといえば業界でもダントツトップです。「初めから商才あったんでしょ」と言ってしまえばそれまでですが、それに加えて芸能界での経験を商売に生かしたのが強かったのでしょうか。このように、あなたも思いもよらないきっかけで、キャバクラ経営が大きく進歩するかもしれません。
恵藤さんはまさに夜の世界の夢を体現したような方ですが、性格は物静かで穏やかとのことです。ここまでの成功を収めておきながら謙虚さを持ち続けており、人柄を感じさせます。
あなたはオーナーとしてどのレベルを目指すのか
以上、キャバクラ(水商売)のオーナーを紹介しましたが、
成功しているオーナーには共通点があること、感じましたでしょうか。その共通点とは、「楽して成功した人はいない」ということです。常人には理解しがたいような苦労をし、それでも継続し、成功を収めている方ばかりです。
キャバクラに限らず、スナック、ホスト、ガールズバー、すべてのオーナーに言えることです。もし今「充分苦労しているよ」と感じていても、それ以上の苦労を乗り越えている方はいます。そして、そういう方にこそ成功が訪れるのではないでしょうか。
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